はじめに
ウルトラマンと一緒に撮った写真が、実家に飾ってある。それは私がまだ幼い頃、あるテーマパークのヒーローショーの後に撮られた写真だ。不機嫌そうな私の顔。ウルトラマンが好きな兄のために、よく分からないまま連れてこられたのだろう。
兄はウルトラマンの顔がプリントされた派手なTシャツを着てポーズをとっていた。一緒に映るのは、体長1.8mほどのウルトラマンコスモス。彼のスーツにはところどころしわが入っていて、それがガワとしての質感を強めていた。私はヒーローショーに連れられたことも、一緒に写真を撮ったことも覚えていないが、この年齢になって初めて分かることもある。ウルトラマンは怪獣と戦うことで世界を救っていて、一緒に写真に映ることである家族の休日を救っているのだ。
『ウルトラマン』の誕生と限界
M78星雲からやってきた彼らは、近未来の世界で、国連傘下の特殊部隊である「科学特捜隊」では歯が立たないような怪獣や宇宙人と戦い、地球を侵略から守っている。制作会社である円谷プロダクションは、その誕生前から東映怪獣映画である『ゴジラ』シリーズの特撮パートを担当しており、その技術を生かして『ウルトラマン』を制作、一気に怪獣ブームの火付け役となった。
怪獣が暴れ、人類がピンチに陥ったところに、ウルトラマンが現れ、必殺技を使って撃退する。もはや形式美となった物語構造だが(図1)、その誕生には当時のサンフランシスコ体制の影響が繰り返し指摘されている。批評家の宇野常寛は『リトル・ピープルの時代』において、「怪獣」=東側諸国、「科学特捜隊」=自衛隊、「ウルトラマン」=アメリカ、という見立てを出発点に、この体制の終わりと、『ウルトラ』シリーズが抱えることになったジレンマとの関係を分析している。
「政治の季節」の終わりはヒーローたちを超越者から人間に引きずりおろした。スポーツ漫画の主人公のように努力する凡人として生きるウルトラマンたちの苦悩が、 70年代の怪獣映画/番組を彩っていく。ビッグ・ブラザーの壊死はサンフランシスコ体制の比喩として成立した「怪獣」という表象、そしてビッグ・ブラザー的なヒーローとしてのウルトラマンをも道連れに殺し始めたのだ。
(宇野常寛、『リトル・ピープルの時代』、幻冬舎、2011)
正義と悪を描くということは、少なからず今の社会の価値観を映すことになる。しかし『ウルトラ』シリーズが放送を開始してから、世界のグローバル化は加速し、安保闘争で信じられていたような大きな物語が凋落すると、『ウルトラ』シリーズの物語構造を保ったまま、時代に合わせた正義と悪のイメージを提出することが難しくなっていく。「マツコと有吉の怒り新党」というTV番組で「新3大ウルトラマンの哀しい話」が取り上げられるように、視聴者に考えさせるような重いエピソードが多い背景には、ウルトラマンという物語が自身のジレンマに苦しんでいたという事情があった。
宇野がウルトラマンの限界を分析してから14年、『ウルトラ』シリーズは完全に解体されてしまったのだろうか。今の社会を描くことはできないのだろうか。結論から言えばそんなことはなく、いまも新作は発表されているし、懐古主義に陥らないクリティカルな物語を提出できていると考えている。私はその根拠を『SSSS.GRIDMAN』に求めたい。
ここからは『SSSS.GRIDMAN』の物語構造を分析することで、円谷作品が今の社会に応答して何を語っているか、そしてそれをどのように可能にしているのかについて考える。また本論は『SSSS.GRIDMAN』の重大なネタバレを含むため、未視聴の方にはブラウザバックを推奨する。一度で物語構造まで読み取るのは困難だが、そんなことが分からなくても、この作品はきっとあなたを退屈から救ってくれるはずだ。
『SSSS.GRIDMAN』における悪のイメージ
『SSSS.GRIDMAN』は、1993年から94年にかけて放送された円谷プロ作品である『電光超人グリッドマン』を原作に、TRIGGERが2017年に制作した完全新作アニメーションである。ツツジ台の高校に通う記憶をなくした少年、響裕太を中心に、彼のクラスメイトである新条アカネや宝多六花、内海将らとの学校生活が描かれるのだが、そんな日常の中に突如怪獣が現れる。響裕太は自身に語りかけてくるグリッドマンに導かれるまま怪獣と戦うことになる。
このように、序盤はまさに『ウルトラマン』と同じ構造で物語が進行していくのだが(図2)、この作品で特に話題を呼んだのが、物語中盤の展開にある。主人公たちが暮らすツツジ台という世界そのものが、実は新条アカネによって作られたコンピュータワールドだったのだ。新条アカネは主人公のクラスメイト、ピンク髪の快活な少女だが、現実世界では学校にうまく馴染めずに引きこもっている。そんなアカネが殻に閉じこもるように自分にとって都合のよい世界を作る、それがツツジ台だった。だからみんなアカネのことが好きだし、学校生活の描写にはエヴァなどの“フィクション”作品のオマージュが多く盛り込まれている。その世界でアカネは文字通り神的な存在だが、“バグ”のように自分の思い通りにいかない人物が発生することもある。アカネはそのことに苛立ち、自らが制作した怪獣を暴れさせリセットする。
ここまでが『SSSS.GRIDMAN』における悪のイメージだ。この時点で、従来の『ウルトラ』シリーズとは異なった構造をしていることが分かる。これまで『ウルトラ』シリーズの悪といえば、60〜70年代の東側諸国のイメージから始まり、平成になって公害などが社会問題化すると、それは環境的なものに変容していった。しかし今作では新条アカネという、ポストモダン的なアイデンティティ不安を抱えた一人の少女の苦悩が前面に展開される。この変化は円谷プロ作品の形式美をそのままに、自身が持つジレンマを克服するために導入された展開だと言えるだろう。大きな物語が規定するような、全員共通の悪ではなく、一個人の苦悩から始まる悪として、物語のスケールを圧倒的に小さくして作品世界に描き出す。これは宇野が指摘した「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」という時代の趨勢とも重なる。
少女の魂を救済する物語として
そんなリトル・ピープル的な悪に対して、『SSSS.GRIDMAN』ではそれを打ち倒すのではなく、救い出そうとする態度が徹底して描かれる。物語終盤でアカネは思い通りにいかないストレスや自己否定から怪獣化してしまう。主人公たちは戦いながらも、孤独なアカネに対し言葉を投げかける。
六花「大丈夫。アカネは一人じゃないから」
内海「みんな万能じゃないから他人を必要とするんだ。新条さんが誰かを必要とすればこの街だってきっと広がっていく」
裕太「この街だけじゃない。新条さんの世界も…」
アカネ「私に広い世界なんて無理だよ!」
六花「だから私達を頼って欲しい。信じて欲しい。そのための関係だから」
(第12話「覚醒」より、『SSSS.GRIDMAN』)
ツツジ台という理想化された偽物の世界だとしても、そこで描かれてきた日常や築かれた関係は本物だと説き、それがアカネの魂を救済し、物語は終幕を迎える。かつてひ弱な子ども(=日本)を守ってくれる父親(=アメリカ)として描かれたヒーローは、いまや苦悩する悪(=姫)を救済するもの(=王子様)として機能しているのだ(図3)。漫画家の山田玲司は、『SSSS.GRIDMAN』におけるこの物語構造を「少女漫画的」であると指摘している。
アカネちゃんっていうヒロインの女の子が作り出した世界がグリッドマンの世界なので、全ては彼女の内面の話であると。その内面が現実世界に覚醒するところで終わるから。それをまず助けに来る、閉じ切った世界にいる彼女を助けに来るのがグリッドマンで。(中略)ここで行われている話は何かっていうと、閉じこもった女の子の内面世界を、王子様が助けに来てくれる話なんだよ。
(山田玲司のヤングサンデー、「SSSS.グリッドマン完全解説~「エヴァ直系ウルトラマン」は少女革命ウテナだった」、YouTube)
物語全体はこの「少女漫画的転回」によって、従来の『ウルトラ』シリーズが抱えるようなジレンマを回避していると言えるだろう。
参考文献
1. 宇野常寛. 『リトル・ピープルの時代』. 幻冬舎. 2011.
2. 山田玲司のヤングサンデー. 「SSSS.グリッドマン完全解説~『エヴァ直系ウルトラマン』は少女革命ウテナだった」. YouTube. 2019年5月19日. https://www.youtube.com/watch?v=maRbFpVl_dI(アクセス日:2025年12月20日).